三浦洋一の息子の慶光は元奥さん女優U(宇津宮雅代)との離婚調停中に出産を現在の嫁が懺悔で平田満が感動のアドバイス!

6月15日放送の『爆報!THEフライデー』では、俳優・三浦洋一さんの次男の慶光さんが2014年1月17日の放送で、父に憧れ俳優になりたいと語っていましたが、現在は俳優として全く売れない状態で、仕事もなく崖っぷちに立たされていました。

さらに母親の真理子さんは現在、末期がんで全身に転移してしまっていて「自分が生きているうちに何とかなってほしい…」という思いを抱いていました。

実は、その裏には次男出生の知られざる秘密があったのです。

最後には、亡き夫の盟友である大物俳優の平田満さんが緊急出演して、ある事実を告げることとなります。

一体、何を告げるというのでしょうか?

番組内容をネタバレで、ご紹介していきたいと思います。

 

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三浦洋一さんの次男・慶光さんは現在仕事ゼロで週5日アルバイト生活をしていた!

 
三浦洋一さんは39歳の時に真理子さん(当時35歳)と1993年に結婚しました。

互いに再婚同士でしたが、2人の間には慶光さんも誕生し、順風満帆な生活を送っていました。

しかし、2000年に食道がんのため、三浦洋一さんは46歳の若さで亡くなってしまいます。

その後、三浦洋一さんと住んでいた東京の家を離れ、現在は実家の青森県で一家は暮らしていました。

そして、4年前に三浦洋一さんの実子である次男の慶光さんが単身上京し、父と同じく役者の道に進みますが、4年経っても役者として全く売れていない状態で、週5日「麦まる 浜松町貿易センタービル店」でアルバイトをしていました。

慶光さんは、このまま役者として頑張るべきか、夢を諦めて就職するべきか悩んでいました。

そんな息子を心配する母親の真理子さんは現在、2年前に患った卵巣がんが再発してしまい、抗がん剤治療をするも効果がなく、肝臓や腸など5カ所以上にも転移して、余命も敢えて聞いていないので、いつまで生きていられるかわからないという状態だと言います。

現在、真理子さんを日常的に支えているのが、地元の企業に勤める長男の豪之さん(36歳)で、生活費や病院代を捻出し、家にいてもあまり動けない真理子さんの日常生活をサポートしていました。

そして、真理子さんが次男の未来を心配するのには、ある理由があったのです。

 

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三浦洋一さんの元妻・女優Uは誰?宇津宮雅代さんで離婚調停中に次男を妊娠の壮絶過去とは?

 
バツイチで子供がいた真理子さんは銀座のクラブでホステスとして働いていました。

三浦洋一さんとは番組の打ち上げで、お店に訪れたのがきっかけで、1993年に出会います。

当時、三浦洋一さんは女優の宇津宮雅代さんと結婚していた。

ちなみに、宇津宮雅代さんと三浦洋一さんは1978年に舞台の共演がきっかけで知り合い、結婚していますが、実は宇津宮雅代さんは三浦洋一さんと結婚する前に西岡徳馬さんと1973年に結婚し、女児を設けましたが、結婚生活わずか2年で離婚していて、三浦洋一さんとは連れ子である女児を伴っての再婚でした。

しかし、1990年頃から別居生活で夫婦関係はすでに破たんしており、長引く離婚調停中の最中に真理子さんと出会い、三浦洋一さんが長男が次第に仲良くなり、そんな姿を見た真理子さんは離婚調停中だと知りながら惹かれていってしまいます。

さらに妊娠も発覚し、2人は籍を入れられないまま、次男を出産することとなってしまいます。

そんな次男の存在が明るみになると、隠し子発覚としてマスコミの大バッシングで、三浦洋一さんは釈明会見を開き、近いうちに真理子さんと結婚すると説明しました。

そして、女優の宇津宮雅代さんと離婚が成立し、結婚するも、この騒動のイメージダウンが致命傷となり、三浦洋一さんは芸能界を干され、結婚早々に収入はゼロの状態で、貯金を切り崩しながらの生活を余儀なくされてしまいます。

騒動から6年経ち、舞台などの仕事も戻り始めた矢先に三浦洋一さんは食道がんが判明し、舞台開始1カ月を切った段階で、すでに余命2カ月の状態で、2000年5月14日にわずか46歳という若さで亡くなってしまいます。

家族へのマイナスイメージが強く、次男の慶光さんは「愛人の子だろ」と言われなき偏見の目で見られてしまうことも多く、真理子さんは慶光さんに本当に申し訳ないことをしたと懺悔の思いを常に抱いてきたのです。

三浦洋一さんが生きていたら悩む次男に何か道を示してくれたはずだと、父親がいない大変さを痛切に感じていました。

そんな思いを受け、三浦洋一さんの早稲田大学時代の同期で、同じ愛知県出身の盟友・平田満さんが慶光さんの元に訪問することになりました。

 

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次男・慶光さんへの平田満さんのアドバイスに感動!

 
平田満さんに慶光さんは「自分がお父さんに似ているところがあるのか、勝っているところはあるのか、劣っているところはあるのか、そういうことが全然わからなかった。」と7歳で亡くした父親へのコンプレックスを語り、常に父親と比較しながら生きてきたことを語りました。

そんな慶光さんに平田満さんは「勝ってるとか、劣ってるとか、あんまり考えない方がいいと思うよ。慶光くんは慶光くんなんだから、人は絶対に人と同じ人生は歩めない。」と父と比較しながら生きるのではなく、自分の人生を歩むべきだと語りかけます。

そして役者としての限界を語り始める慶光さんに平田満さんは「役者というのはなりたい役者になるんだよ。例えばお金が欲しいとか、ちやほやされたいとか、芝居が常に大好きでいたいとか、なりたい目標をずっと持っていると、そういう役者になる。成功する失敗するは知らないよ。でも、その時に悔いはないと思うよね。本当に自分が思っていることだから、それこそ三浦洋一は三浦洋一のなりたい役者像があったし、なりたい役者になったと思う。リーゼントだってキャロルが流行ってて、彼はそういうのが好きだった。それで彼の最初のイメージがリーゼントになった。慶光くんもなりたいというのがどういうことか、これは人の意見でもなんでもない自分からだから、自分の気持に正直に慶光くんには慶光くんのものが絶対があるんだから」と自分の気持に正直に生きるべきだと語り、それが役者でも別の仕事でもというアドバイスをしました。

その2週間後、慶光さんは、やはり自分には俳優の道しかないと決意し、母親の真理子さんは息子たちに「とにかく楽しみなさい人生を、失敗しても転んでも、もう一回起きられるし大丈夫、そういうのを洋一さんも望んでるし、後悔しなければそれが一番いい。」と語るのでした。

 

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