黒田博樹がアンビリーバボーで名言連発!半生とメジャーも驚愕の真相を独占インタビューで語る!

野球

11月3日の『奇跡体験!アンビリバボー』では、広島カープ25年ぶりの優勝の立役者となり、今年現役を引退することとなった黒田博樹投手の知られざる半生を本人への独占インタビューが放送されました。

黒田博樹投手の知られざる半生とありえない決断の数々を皆様にも紹介していきたいと思います。

 

 

黒田博樹投手の生い立ち

 
1975年2月10日に大阪で生まれた黒田博樹投手の父親は南海ホークス(現ソフトバンク)の外野手として活躍していた一博さんで、引退した父親が始めた野球教室で黒田博樹投手は野球を始めることとなります。

そして母親の靖子さんはオリンピックを目指していた砲丸投げの選手で、学校の体育の先生をしていた靖子さんの教育は遊ぶ前に宿題をしないと竹刀で殴られるという熱血ぶりでした。

そんな環境で育った黒田博樹投手は甲子園に出場したいという夢を抱くようになり、元木大介選手がいた私立上宮高校を志望し、両親に頼んで進学することになりますが、そこは野球のエリート高校で、同世代の7人の部員がプロ入りするほどだったため、黒田博樹投手は「とんでもないところに来てしまった。」と思ったと言います。

 

上宮高校時代の過酷な練習

 
上宮高校では監督に走っとけと言われると、監督が良いって言うまで外野を走り続けなければならなく、夏の合宿中は朝から晩まで走りっぱなしという過酷な練習ぶりで、走っている間は休むことも食事をとることも許されませんでした。

許しをもらえないまま4日が過ぎた夜に黒田博樹投手と一緒に走っていた先輩の両親が食事もとれずに水も隠れて飲むような状態だったので、一旦家に連れて帰ってくれて、4日間お風呂も入ってなかったので、お風呂に入れてくれて、ご飯を食べさせてもらって「また朝早い時間に学校に戻ってランニングを始めれば良いんじゃない?」という形で、家に連れて帰ってくれました。

そして先輩の両親が黒田博樹投手の家に気を利かせて電話すると、母親の靖子さんは「ありがたいんですけど、お金払いますんで、うちの子だけタクシーで学校に帰って走らせて下さい。」と言ってきたという。

それを聞いた黒田博樹投手も、さすがにとんでもない親だなと思ったと語りましたが、後に著書「決めて勝つ」の中で「自分がお世話になると決めた監督から命じられたことならば、どんなことがあってもその教えは守るべきで、上宮高校を進んだ以上、黙ってそれに従う。」という筋を通すことの大切さを母親から教わったと語っています。

 

専修大学時代に広島カープとの出会いが!?

 
高校時代は3年間補欠で、甲子園出場も叶わず、その後、専修大学に入学して猛練習に耐えていました。

その頃に心の支えにしていた言葉が西郷隆盛が読んだ句の「耐雪梅花麗」で、意味は「苦しまずして栄光なし」という意味で、高校でも毎日走るだけの生活で苦しい思いをしていましたが、いつかは花が咲く時もあるんじゃないかと心の支えにしていました。

大学2年生の時に球速140kmを超えるまでに成長した黒田博樹投手の元に度々、広島カープのスカウトの苑田聡彦さんが見に来るようになり、大学4年生の時に球速150kmを超えるようになると、他球団からも注目されるようになります。

しかし黒田博樹投手は当時採用されていた選手が希望するチームに入団できる制度である逆指名制度で、広島カープに入団しました。

当時はプロのスカウトがアマチュアの選手に声をかけることは禁止されていて、広島カープに入団したのは金額などの条件面ではなく、ただただ大学2年生の頃から見に来てくれていたことへ気持ちだけで、広島カープに入団することになりました。

 

 

広島カープのファンと黒田博樹投手の絆

 
広島カープに入団した黒田博樹投手は1年目から活躍し、5年目ではエースにまで成長することとなります。

市民球団である広島カープは赤字が決して許されないため、主力選手の年棒が上がると、手放さざるを得なくなってしまいます。

黒田博樹投手の獲得に複数の球団が乗り出し、黒田博樹投手は移籍か残留かに揺れていました。

2006年10月16日、そんな状況を知ったファンは迎えたホーム最終戦、9回2アウトの場面で黒田博樹投手が登場すると「我々は共に闘ってきた。今までもこれからも…未来へ輝くその日まで、君が涙が流すなら君の涙になってやる。カープのエース黒田博樹」というファンからの横断幕が!?

「本当は残留して欲しい。だが、例え移籍しても最大限のエールで背中を押してあげたい。」というファンの切なくも熱い思いを受けた黒田博樹投手は3週間後の記者会見で、残留を決意することになります。

しかしメジャーで野球をしたいという思いが日に日に強くなり、1年後、会見で涙で言葉が出ないほどの苦渋の決断で、広島カープを2007年に退団することとなりました。

そして同じ年に新井貴浩選手も阪神に移籍することとなってしまいます。

 

メジャーでも黒田博樹投手の男気

 
2009年ドジャースに移籍して2年目、黒田博樹投手はバッターの打球が頭に直撃し、病院に搬送され即入院で、長期離脱を余儀なくされ落ち込んでいる時に、相手の打者から手紙が届きます。

手紙には「あなたにケガをさせてまで私はメジャーで野球をやろうとは思わない。」と書かれていました。

わざと打ったわけでもなく、全く落ち度がないにも関わらず、自分を責めていた選手に黒田博樹投手は「僕が野球を辞めた時、君という名選手にボールを当てられたと胸を張れる選手になってほしい。」というコメントを送って励ましました。

さらにメジャー最高年棒を誇る、13歳年下のクレイトン・カーショー投手は黒田博樹投手と入団時期が同じで、キャッチボールをする練習パートナーでした。

2011年9月27日黒田博樹投手のシーズン最後の登板で、クレイトン・カーショー投手はシーズン最後の登板が終わって、そのままシーズンオフに入っていくので、普通のアメリカ人の感覚では全くキャッチボールもせずにボールも触れないという状態なのにも関わらず、黒田博樹投手の登板が終わらないと僕のシーズンは終わらないとキャッチボールをすることに!

黒田博樹投手の4年間の実績から他球団から多数オファーがきていたため、クレイトン・カーショー投手は最後のキャッチボールになると予感していたのでした。

移籍先を決める交渉で、黒田博樹投手はドジャースと戦わないアメリカンリーグのチームとの移籍を希望して、金銭面ではなく情を優先してヤンキースに移籍することととなります。

ヤンキースに移籍後も3年連続10勝以上を記録し、誰もがうらやむ野球人生を送ってきたかに思えますが、実は中学生以来、野球を一度も楽しいと思ったことがないと言います。

それは少年時代の原体験にあると言います。

 

 

「野球が一度も楽しいと思ったことがない」の真相

 
胸をときめかせ、野球を見に行った黒田少年はひいきの野球チームが勝つと「きっと僕が見に来たから勝ってくれたんだ!」と思い、プロ入り後、黒田博樹投手は「僕にとってはシーズンの内の一試合、だが今日見に来てくれたファンにとっては思い出に残る大切な一試合になるかもしれない。」という思いから、負けていい試合はないし、打たれることが怖いので、ひたすら練習で上達して、恐怖を乗り越える。

野球は常に恐怖との戦いであったため、メジャー移籍時にも4年契約で50億円のオファーを4年間やっていけるかという不安が強かったので、3年に減らして欲しいというありえない契約をすることになります。

恐怖に打ち勝ちドジャースで4年間活躍し、その活躍が認められ、ヤンキースへ移籍した黒田博樹投手が命がけで野球をしていたのを象徴する試合が2013年5月13日の試合で、自信を持って投げた球を審判にボールと判定され、結果その打者に打たれて交代することになりました。

そしてベンチに戻る時に審判に「間違えたのはあの1球だけだろう。」と言われて、それに我慢できなくて珍しく怒鳴り返しました。

黒田博樹投手は「その一球を投げるために、たくさんの調整をしていろんなデータを取って、その一球のためにいろんなことをやって投げているので、それを軽く言われるっていうのはちょっとね…」と語り、マウンドに上がる時は常にこれが最後の試合だと思って恐怖と戦い全力を尽くす黒田博樹投手にとっては審判の一言は許せない一言でした。

 

あり得ない決断で広島カープに復帰

 
7年間メジャーリーグで活躍した黒田博樹投手は2014年、メジャーの複数の球団が興味を持ち、年棒の最高額は20億円という破格の待遇でしたが、黒田博樹投手が選んだのは広島カープでした。

ファンへの感謝の思いと帰らなけらばならないという使命感から2015年3月29日に広島カープに復帰した黒田博樹投手にやまないファンの声援を受け、負けていい試合は一度もないという信念の元に体を張ったプレーで勝利への執念を見せ続け、同じ年に阪神に移籍した新井貴浩選手も広島カープに復帰し、日米通算200勝を達成!

しかし黒田博樹投手は日米で唯一手にしていなかったのが優勝経験でしたが、投打のリーダーを得た広島カープは若手とベテランの力がかみ合い、見事に優勝!

ついに黒田博樹投手はメジャーでも叶わなかった優勝という夢を実現させたのでした。

黒田博樹投手は「自分自身も嬉しかったけど、今カープは若い選手がたくさんいるので、若い選手が優勝を経験できたということが今後のカープにも彼らの野球人生にも凄く大きいんじゃないかなと、そっちの方が嬉しかった。」と語り、最後まで自分のことよりファンやチームメイトのことを思う黒田博樹投手らしいコメントで独占インタビューを締めくくることとなりました。

 
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