11月2日放送の『爆報!THEフライデー』では、Mr.Childrenの桜井和寿さんが尊敬してやまない80年代に絶大な人気を誇ったロックスターROUGEの奥野敦士さんのバンド解散、どん底に落ち過酷な肉体労働、さらに半身不随という悲劇から、2つの感動的な奇跡が巻き起こります。
果たして、ROUGEの奥野敦士さんにどんな奇跡が巻き起こったとおうのでしょうか?
番組内容をネタバレで、ご紹介していきたいと思います。
ROUGEの奥野敦士さんがバンド解散後、事故で半身不随に!?
1982年、高校を卒業後、18歳でミュージシャンを目指して群馬県から上京した
奥野敦士さんは4人組ロックバンド「ROUGE」を結成するも、5年間、全くヒットには恵まれませんでした。
そんな中、自らを鼓舞するために作った『終わりのない歌』がブレイクのきっかけになり、一躍ロックスターの階段を駆け上がりますが、1990年にメンバーとの衝突もあり、バンドは解散してしまうことになってしまいます。
その後、ソロ活動を開始した奥野敦士さんは地元で解体業のアルバイトをしながら、夜は楽曲制作をする日々を送っていました。
そして、2008年9月11日に工場の屋根の張替え作業中に屋根が抜け落ち、7mの高さから転落してしまいます。
目が覚めたのは事故から数時間後で、目が覚めると体が動かず、胸から下の感覚がなくなっていました。
奥野敦士さんは転落した際に首を強打し、頸椎を損傷し、脳からの神経伝達ができなくなってしまったことから半身不随の状態になってしまいます。
さらに、頸椎損傷の影響で、腹筋が使えず、腹式呼吸ができないため、奥野敦士さんは歌声が出せなくなってしまい、絶望の淵で死を意識する日々が続き、自分の曲すら聞かなくなってしまいます。
そんなある日、介護士が奥野敦士さんを元気づけようと、リハビリ施設にあるカラオケルームに向かうと、そこで自身の代表曲である『終わりのない歌』が流され、奥野敦士さんにとっては苦痛でしかなかったものの「いつかは雨もやむだろう」という自らの歌詞で、苦しみなんていつかは絶対に終わるんだと大切なことを思い出します。
そして、奥野敦士さんはシートベルトでお腹を強く締め、前かがみになれば大きな声が出ることを発見し、365日休まずに猛特訓すると、2年後に歌声が奇跡の復活!
奥野敦士さんが歌う姿をファンに診て欲しいと友人がネットに投稿すると、人生を変える2つの奇跡が起こるのでした。
半身不随後の奥野敦士さんに起こった1つ目の奇跡「妻 亜紀さんとの出会いと結婚」
1つ目の奇跡は事故から6年がたった2014年、動画を見た女性が訪ねてきました。
その人こそ、後に奥野敦士さんの奥さんになる亜紀さんで、実は亜紀さんは学生の頃からROUGEが好きで、歌えない体になったことを知人から聞き、常に気にかけていました。
そんな時、偶然、奥野敦士さんが歌う動画を発見し、不慮な事故に負けない前向きな姿に感動した亜紀さんはお見舞いに訪ね、奥野敦士さんのために何か力になれないかと、お見舞いに通うようになり、いつの間にか交際がスタートすることとなります。
2015年に結婚しました。
奥野敦士さんを介護施設から、亜紀さんの実家に引き取り、3年前から昼はOL、帰宅後は介護生活を送っています。
事故後、自分が結婚できるとは思っていなかった奥野敦士さんですが、動画がきっかけで、最愛のパートナーと結びつける奇跡をもたらしていました。
半身不随後の奥野敦士さんに起こった2つ目の奇跡「Mr.Children桜井和寿さんと夢の共演」
2つ目の奇跡は動画を見てMr.Childrenの桜井さんが訪ねてきたことで、実は桜井さんは中学の頃から奥野敦士さんに憧れ、Mr.Children結成後も歌い方や衣装を真似していて、多大な影響を受けていたのでした。
そして、動画を見た桜井さんは「ap bank fes」に出演して欲しいと、出演を依頼するも、この時には奥野敦士さんの体調が悪化し、ドクターストップがかかってしまいます。
その後、ライブの出演ができずに落ち込んでいた奥野敦士さんの元に桜井さんから「ap bank fes」のDVDが入った郵便が届きます。
そこには信じられない光景が映っていました。
なんと桜井さんが『終わりのない歌』をカバーし、会場のモニターには奥野敦士さんのYoutubeの動画を使って、セッションをしてくれていました。
これを見た奥野敦士さんはいつか必ず桜井さんと同じステージに立つと決意し、6年後、ついに桜井さんと同じステージに立ち、夢の競演を果たしました。
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